環境技術解説

環境ナノテクノロジー

 環境分野へのナノテクノロジーの応用
 ナノテクノロジーによって、従来の技術では実現できなかった装置の小型化・省電力化や、希望する物質を分子レベルで設計することなどが可能になることから、環境の分野にナノテクノロジーを積極的に応用する研究が進められています。
 環境省では、平成15年度から環境ナノテクノロジープロジェクトをスタートさせました。環境の視点に立ったニーズに基づいて課題を設定したうえで、その課題に必要となる機能や特性を調査し、それらに対応できるナノテクノロジー・材料をさがす事業です。現在、「環境の認識」「環境の管理」「環境の改善」「環境エネルギー問題への対応」という4つの課題ごとに、具体的なテーマを取り上げて研究を進めています。また、安全性に関する知見が十分に集積されていないナノ材料について、環境中への放出の可能性と管理手法の知見の収集・整理も進められています。
 今回は、環境ナノテクノロジーの概要と、プロジェクトにおいて取り組まれている具体的な研究について紹介します。

エアロゾル濃度・成分同時分析器の概念図
出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

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1.環境ナノテクノロジーとは

1)ナノテクノロジーとは

 ナノテクノロジーの“ナノ”とは、10億分の1(10のマイナス9乗)を示す接頭辞です。つまりナノテクノロジーは、原子(10-10 m)を数10~数100個ほど集めて加工することができるような、肉眼では見ることのできない超微細な世界での技術を指します。1980年代に走査型トンネル顕微鏡(STM)という、原子や分子を一個ずつ直接観察できる顕微鏡が開発されて以降、ナノテクノロジーは急速に開発が進みました。
 現在は、ナノレベルの計測や加工などの基盤技術、生体になじみやすい材料開発などの医療技術、電子デバイスなどの情報通信技術、金属やセラミックスなどの新素材とその応用技術などについて、さまざまな研究開発が行われています。ナノテクノロジーは今後さらに、エレクトロニクスやメカトロニクス、化学、エネルギー、バイオ・医療、構造・機能材料、環境などのあらゆる分野での応用が期待されています。

図1 ナノテクノロジーの応用分野
出典:(独)新エネルギー・産業技術総合開発機構HP「よくわかる!技術解説」ナノテクノロジー概説
出典URL:http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/nan/na00/index.html

2)環境面からのアプローチ

 ナノテクノロジーによって、従来の技術では実現できなかった装置の小型化・省電力化や、希望する物質を分子レベルで設計することなどが可能になることから、環境の分野にも積極的に利用する研究が進められています。
 「環境ナノテクノロジー」プロジェクトは、環境の視点に立ったニーズ(環境ニーズ)に基づいて課題を設定したうえで、その課題に必要となる機能や特性を調査し、それらに対応できるナノテクノロジー・材料をさがすという方向性で進められている環境省の事業で、平成15年から始まりました。このプロジェクトによって進められている技術開発の詳しい内容は後述のとおりですが、ナノテクノロジーを環境面から活用する新しい取組として、多くの関心を集めています。

図2 環境の側面からのナノテクノロジーへのアプローチ
出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

3)ナノテクノロジーをめぐる国の施策

 わが国では、科学技術の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、「科学技術基本計画」を策定しており、現在は平成18年度から平成22年度までの5年間を対象として、第3期計画が進められています。この第3期計画では「ナノテクノロジー・材料」を、「ライフサイエンス」、「情報通信」および「環境」と並んで重点推進分野として指定し、国家的・社会的課題に対応した研究開発として科学技術関係予算の優先的な配分が行われています。
  環境省でも、環境技術開発等推進費で実施する研究開発領域の戦略一般研究特別枠として「環境ナノテクノロジー研究枠」を指定しています。環境のモニタリングや分析、リスク評価、有害物質の除去などの環境技術において、機器等の高感度化や手法の簡易化などが課題となっており、ナノテクノロジーの活用によりブレークスルーが期待されている分野も多いので、特別に推進すべき課題として研究枠を別途設けたもので、環境分野でのナノテクノロジーの一層の進展が期待されています。

2. 環境ナノテクノロジーの動向

1)環境ナノテクノロジープロジェクト

(1)概要
  前述(1.2))で触れた環境ナノテクノロジープロジェクトでは、環境ニーズからの課題として次の4つが挙げられています。

  • 環境の認識:環境汚染などの状況を把握できる新たなシステムや機器の開発
  • 環境の管理:人工的につくられた物質などの有害性を把握・評価する技術の開発
  • 環境の改善:汚染された環境の速やかな回復のための技術の開発
  • 環境・エネルギー問題への対応:化石燃料に頼らないエネルギーの利用を可能にする技術の開発

これら4つの課題について、表1のような具体的な研究テーマが取り上げられています。

表1 環境ナノテクノロジープロジェクトの研究テーマ
課題 テーマ
環境の認識
  • 小型多機能環境センサによる環境汚染の総合認識システムの開発
  • 新たな炭素材料を用いた環境計測機器の開発
環境の管理
  • バイオナノテクノロジーを活用したヒトの健康の多角的評価システムの開発
環境の改善
  • 疑似分子鋳型を用いた環境汚染物質の選択的捕捉技術の開発
  • 環境汚染修復のための新規微生物の迅速機能解析技術の開発
  • 環境負荷を低減する水系クロマトグラフィーシステムの開発
  • ホウ素等に対応可能な排水対策技術の開発
環境・エネルギー問題への対応
  • 高エネルギー密度界面を用いた大容量キャパシタの開発
  • 新規ナノマテリアルを用いた超フレキシブル有機太陽電池の開発

出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

(2)注目テーマ
[1]新たな炭素材料を用いた環境計測機器の開発
 大気汚染をまねくエアロゾル(大気中の粒子状物質)のなかでも、PM 2.5 ( 粒径 2.5μm ( 0.0025 mm )以下の微小粒子)は、 肺の深部へ侵入しやすいことから健康影響をもたらすおそれがあります。 こうした微少なエアロゾルの測定は、 これまでの技術では十分な精度を得ることができませんでした。また、これまでのような定点観測だけでは、発生源と環境濃度との関係を十分に把握することができませんでした。
  このため、ポータブルで精度の高い計測機器の開発が求められ、平成15年度から環境ナノテクノロジープロジェクトのテーマとして研究が進められています(図3)。
  この研究では、捕集量が少ないエアロゾルに対して、精密な濃度測定と成分分析を同時に実現することを目指しています。そのため、従来の放射性同位元素の代わりに、ダイヤモンド薄膜やカーボンナノチューブを用いた電子放出源を備え、駆動電力を従来に比べ2桁程度小さくするとともに、同様の電子放出源を利用したX線源により成分分析も行うことができる装置の開発が進められています。
 この研究によってポータブルなエアロゾル分析装置が実現されれば、広域にわたって、また高密度なエアロゾル観測が可能になります。また、小型・省電力X線源を用いた成分分析部は、独立させてポータブルな蛍光X線分析装置とすることができるため、廃棄物最終処分場近くの土壌汚染の監視や、船底塗料中のスズの非破壊分析に利用することもできるなど、新たな応用分野における活用も期待されています。

図3 エアロゾル濃度・成分同時分析器(特許第4108441号)の概念図
出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

[2]環境汚染修復のための新規微生物の迅速機能解析技術の開発
 有害化学物質などで汚染された土壌や水環境を微生物分解によって浄化したり、環境負荷の小さい物質生産システムや新薬を開発したりするためには、微生物が持つ多様な機能を把握することが必要不可欠です。
 これまで、有用な微生物の発見や、微生物の有用な機能の把握にあたっては、微生物を単離培養した後、温度などの環境因子に対する代謝活性を長期間にわたり試験するなど、多大な時間と費用が必要でした。そこで、個々の微生物細胞の代謝活性や環境応答性という微生物の機能から見た多様性を、迅速かつ網羅的に評価する技術の開発のために、平成16年度から環境ナノテクノロジープロジェクトのテーマとしてとして研究が進められています(図4)。
  この研究では、微生物細胞一個を操作できるマイクロマシンや、細胞の活性・物質分解性などを測定するマイクロ・ナノセンサー等を集積したマイクロ微生物チップによる細胞単離・機能解析システムを開発することを目標としています。
 これらの開発が実現すれば、現状では単離が困難な新規微生物の機能の特定と評価できるようになることで、有害化学物質の分解などの環境保全効果や医薬などの有用物質生産に有益な微生物を得ることができます。さらに、微生物資源の探索や環境浄化技術・生態系保全に役立つ情報データベースを整備することにもつながると期待されています。また、微生物を用いた環境浄化(排水処理、土壌浄化等)を行う際に、その環境に応じた浄化策を、生態系変化や環境変化に合わせてきめ細かに対応することにも、マイクロ微生物チップを活用することができます。

図4 新規微生物の迅速機能解析技術の概念図
出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

(3)その他のテーマ
[1]環境の認識
 環境リスクの高い大気汚染物質を測定するために、ナノテクノロジーの成果を広く活用・駆使した超小型センサの研究開発が行われています。超小型センサ群とIT技術を融合し、個人、家庭等のレベルで環境汚染を把握できる超小型環境監視装置を開発することと、得られた高密度・多量の環境データを処理・解析し、各利用者への配信、各地域、各利用者のデータを相互に利用できるネットワークシステム(センサNW)の考察を目標に、平成15年から進められました。
  この研究開発は平成20年度以降も「小型多機能環境センサによる環境汚染の総合認識システムの開発」として、引き続き環境ナノテクノロジープロジェクトのテーマに挙げられており、実用化とシステム構築の完成が期待されています(図5)。

図5 小型多機能環境センサによる環境汚染の総合認識システムの概念図
出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

[2]環境の管理
 有害化学物質の健康影響や生体影響を把握するため、いくつかの研究開発が進められています。
 その1つとして、有害化学物質の健康影響を包括的に、簡便、短時間、高感度かつ安価に検知・予測することが可能な、コンパクトな環境ストレスDNAチップを作製することを目的とした研究が、平成15~19年度に行われました(図6)。

図6 環境ストレスDNAチップの概念図
出典:「環境とナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所
出典URL:http://www.env.go.jp/policy/tech/nano_tech/leaflet/full.pdf

 また、人工組織とナノ構造体を機能協調させる技術に立ったバイオナノ協調体を作製して、動物実験系を一部代替し、既存・新規化学物質の安全性評価や医薬品としての性能評価を、迅速・高効率に実現する手法の確立を目的とした研究も、平成15~19年度に行われました。さらに平成20年度からは、このバイオナノ協調体を用いて、物質の人体への影響を迅速に評価するシステムの開発に取り組んでいます(図7)。
 物質の有害性を評価する技術において、従来のセンサでは、有害とわかっている物質に対して、その濃度が微量でも検出できるように「検出限界」を追及することが重要でした。それに対し、このバイオナノ協調体は、ヒト細胞で構成された人工組織をセンサとして、その応答をナノ構造体によって検知する仕組みとなっています。そして、新たに合成された化学物質や紫外線などに曝(さら)されたときにバイオナノ協調体が示す反応から、これら化学物質や紫外線がどの程度人体に対して有害なのかについて、個々の影響要因を分析する以前に、まず総体的に評価しようとするところに特長があります。

図7 バイオナノ協調体による有害性評価システムの概念図
出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

[3]環境の改善
 環境の改善にナノテクノロジーを利用するいくつかの研究が進められています。
 その1つは、環境中に存在する環境ホルモンやダイオキシン、アオコ毒などの低濃度で強毒性の有害物質を選択的に認識し捕捉する、ナノサイズの構造体を化学的に構築する技術の研究で、平成15年度からはじまり、平成20年度以降も継続的に進められています(図8)。
  またポリ(N-イソプロピルアクリルアミド)をカラム素材のコア物質として用い、廃液処理を必要としない高度なクロマトグラフィー法の技術開発と、それを用いた環境試料や生体試料の新しい高感度・高分解能分析方法の開発についての研究が、平成17年度から進められています(図9)。
  さらに、逆浸透膜処理とナノテクノロジーを活用して、高性能の逆浸透膜を開発する研究も、平成19年度から進められています(図10)。この技術が実現すれば、多くの業種で排水基準の適応が猶予されている状況のなかで、ほう素などの環境基準の早期達成が期待されます。

図8 有害物質の選択的捕捉技術の概念図
出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

図9 水系温度応答性クロマトグラフィーの概念図
出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

図10 精密な細孔構造の概念図
出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

[4]環境・エネルギー問題への対応
 環境・エネルギー問題の解決をめざしてナノテクノロジーを活用した研究も関心を集めています。
 その一つとして、ナノテクノロジーを使ってエネルギー密度と出力密度を増大させた大容量キャパシタの研究が、平成19年度から進められています。この大容量キャパシタの開発により、ハイブリッド車や風力発電・太陽光発電の負荷平準化などへの活用が期待されています(図11)。
  また、有機太陽電池を繊維形状にすることにより、設置場所を選ばない太陽電池の研究が、平成20年度から進められています(図12)。

図11 ナノテクを使った大容量キャパシタの開発
出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

図12 繊維形状有機太陽電池の概念図
出典:「環境ナノテクノロジー」環境省・(独)国立環境研究所

2)その他の関連プロジェクト

 ナノ材料は、新しい機能材料として近年技術開発が進んでいますが、今後の大規模な商品化に伴い、その安全性に関する知見が十分に集積されないまま、環境中に排出されるおそれも指摘されています。ナノテクノロジーという新技術そのものの安全性を判断することもひとつの環境ニーズといえます。
 環境省では「ナノ材料環境影響基礎調査検討会」を設置し、ナノ材料の安全性に関する国内外の取組状況を取りまとめるなど、ナノ材料の環境中への放出の可能性と管理手法について、知見の収集と整理を行っています。
  現在、ナノ粒子が私たちの健康に与える影響を調べることを目的とした、自動車排ガスに起因する環境ナノ粒子の生体影響の研究が行われています(図13)。将来的には、カーボンナノチューブのような、人工のナノ粒子の健康影響も視野に入れており、その成果に期待が寄せられています。
  そのほか、大気中微小粒子やナノ粒子の健康影響に関する研究戦略についての日米比較の研究や、ナノ素材が皮膚疾患に及ぼす影響とそのメカニズムの解明に関する研究など、ナノ材料の安全性に関しては多くの研究が続けられています。

図13 自動車排ガスに起因する環境ナノ粒子の生体影響の研究イメージ図
出典:(独)国立環境研究所「環境ナノテクノロジープロジェクト」
出典URL:http://www.nies.go.jp/nanotech/public/other.html

3.まとめと展望

 ナノテクノロジーは21世紀の技術戦略のキーワードともいえるもので、さまざまな分野で既存の技術の限界を超える可能性に期待が寄せられています。一方で、環境・エネルギー分野とナノテクノロジーとの融合はまだ不十分との指摘もあり、今後さらに積極的に取り組む必要のあるテーマと考えられます。
  環境ナノテクノロジーは現在も、環境モニタリング、健康・生体影響評価、環境汚染防止などに関して着実な研究が続けられています。これらの研究成果の蓄積と新しい研究課題への取組の進展こそが、ナノテクノロジーの人類や地球に対する真の貢献を果たすものと期待されています。

引用・参考資料など

1)環境省「ナノテクノロジーを活用した環境技術開発推進事業
2)環境省「ナノ材料の安全性に関する国内外の取組状況
3)文部科学省「科学技術基本計画
4)(独)国立環境研究所「環境ナノテクプロジェクト
5)(独)国立環境研究所「環境中におけるナノ粒子等の体内動態と健康影響評価
6)環境省・(独)国立環境研究所『環境ナノテクノロジー』
7)科学技術政策研究所「米国における大気中微小粒子・ナノ粒子の健康影響に関する研究戦略
8)(独)物質・材料研究機構「物質材料研究アウトルック
9)(社)応用物理学会・(株)日本総合研究所「応用物理分野のアカデミック・ロードマップの作成
10)(独)科学技術振興機構「エネルギー・環境用材料技術戦略」検討会報告書
(2008年12月現在)