実践レポート

「農場や湿原をフィールドに 自然との共生を学ぶ体験型環境学習」

北海道標茶(しべちゃ)高等学校

 東京ドーム55個分、255ヘクタール…高校では日本一広い敷地面積を持ち、さらに学校を一歩出れば、すぐ近くに日本最大の湿原、釧路湿原が広がる北海道標茶高等学校(以下、標茶高校)。希少な環境に囲まれた同校では、さまざまな体験学習を通じて、自然環境と人の暮らしとの関わりについて学んでいます。

校内の農場や湿原には野生動物もやってくる

 とにかく広い、広い学校です。校舎に入るとき、ふと横を向くとサイロ(農産物や家畜の餌を備蓄する倉庫)がそびえ、その脇に牛舎が見えます。その先に鶏舎や豚舎、畑や牧草地、家畜の飼料に使うトウモロコシ畑が続きます。さらに奥に進むと、小川やミニ湿原、そして軍馬山と呼ばれる自然林に到達。湿原を歩いていると「ガサガサッ」と音をたててシカが森の中に消えていきました。シカの他に、国の特別天然記念物“タンチョウヅル”やキタキツネの姿もよく見かけるそうです。
 この広大な敷地は、以前は集治監(現在の刑務所)や軍馬用地として使われていました。そして、1946年に標茶農業高等学校としてスタート。後に普通科が追加され、2000年に総合高校となったのを機に、標茶の雄大な自然を活かし、暮らしとの関わりを学ぶ必修・選択科目を多く取り入れた環境学習プログラムを進めています。

【写真1】校内にあるサイロ
【写真2】学校敷地内にあるミニ湿原

酪農のまちの湿原再生プロジェクト

 標茶高校がある北海道標茶町は酪農が盛んで、人口9千人に対して乳牛頭数がその5倍近く。同校生徒の保護者の約3分の1が酪農関係の仕事に携わっています。
 一方、釧路湿原は生活排水や酪農排水による富栄養化で水質が悪化し、ダムや河川の人工化で生き物の生息範囲が狭まり、トンボなど湿原を代表する生物が減っていることが指摘されていました。また、湿原周辺に人工林や牧場が増えたことなどが原因で、この50年で釧路湿原全体の5分の1もの面積が失われ、本来湿原が持っている保水力が減っていると言われています。
 こうした事態を受け、国や地元自治体と住民、NPO、学識経験者が一体となって、2003年に「釧路湿原自然再生協議会」が結成され、湿地再生に向けたさまざまな取り組みが行われています。
 標茶高校では、地域の自然と人間生活の共生について考えるきっかけにしようと、「協議会」より一歩早い2002年から、学校としての取り組み「釧路湿原再生プロジェクト」を開始。「協議会」にも参加しつつ、湿地の植物が持つ自然の浄化能力を利用した水質改善を目指し、実験を続けています。

 「湿原再生プロジェクト」を始めるにあたって、学校ではまず、地域の人たちを対象にアンケート調査を行いました。結果は、90%以上の人が釧路湿原を守りたいと感じていることを確認。地域と協力して湿原の保護と再生に取り組むことにしました。
 具体的には、湿原が本来持っている浄化能力を利用して、酪農・生活排水から流入する富栄養化の原因物質である窒素・リン・カリウムを吸収し、水質改善につなげることができないかという研究です。これまで研究を進めるなかで、湿原の植物を利用した浄化には、植物の根に寄生するバクテリアの存在が必要であるということ、植物の中でもカサスゲが水質浄化の優等生であることがわかってきています。

 取り組みをはじめて7年目となる2008年度は、北海道のスーパーネイチャーハイスクール(SNH)に指定され、排水路への湿地植物の定植とビオトープづくりを3年計画で進めることになりました。湿地植物の定植実験は、北海道開発局と協力。牛の糞尿処理水を釧路川に流す手前の排水路に湿地植物を植え、浄化実験をすることになっています。このため、学校でカサスゲを育て、2009年春に排水路に移植する予定です。

 「学校は勉強する機会はあっても、それをどうやって活かすか地域で試すことができる機会は少ないものですが、標茶高校は地域のプロジェクトと協同しているので実践的だと思います」
 釧路湿原自然再生協議会「ワンダグリンダプロジェクト」事務局の北海道環境財団・内田しのぶさんは、同校の活動をそう評価します。

【写真3】水質浄化の実験用に、湿地の水生植物を採取しています

【写真4】北海道大学の橋床泰之先生の指導で、窒素を吸収するバクテリアの働きについて実験中

地元自治体や企業も応援

 湿原再生プロジェクトをはじめとした環境活動には、地域との積極的な連携が欠かせません。
 廃プラスチックのリサイクルを手がける標茶町のベンチャー企業では、カサスゲを植え込んで水面に浮かせるためのネットフロートを提供。生徒が実験結果をフィードバックすることでネットの改良を行っています。

 水質調査は、釧路市に本社を置く環境コンサルタントに依頼。同社は他にも、1年生の必修科目「環境科学基礎」の出張授業を担当し、釧路川と牛舎の糞尿の水質調査や釧路川の生物調査を指導するなど、標茶高校の環境教育を応援しています。
 前述の釧路湿原自然再生協議会に参加している大学の先生が講義をしにきてくれることもあります。
 また資金面では、町が同窓会や商工会などと協力し教育振興会を立ち上げ支援をしています。

 このように地域からの理解と協力を獲得してきた背景には、活動を積極的に地域の人たちに伝え、情報発信に力を入れてきた同校の広報努力があります。地元の酪農家に向けた活動報告会や小学生向けの環境体験会など、地域に直接働きかけるほか、さまざまな研究発表の機会を利用して、湿原再生プロジェクトの活動成果を報告してきました。
 そのかいあって、北海道内外、時には外国からも見学者が訪れるようになり、うれしい励ましの言葉をもらったり、テレビや新聞の取材も受けたりするようになりました。

【写真5】ネットフロートを使った実験

標茶の自然の魅力を小学生に伝える

 標茶高校の環境活動のもうひとつの目玉は、2004年から地元のNPO法人の協力で実施しているインタープリターズキャンプです。
 この取り組みは、夏休みに一泊二日の体験プログラムに参加し、自然の魅力をわかりやすく伝える「インタープリテーション」の手法を学んだ生徒たちが、今度は小学生向けのプログラムを自分たちで考え、9月下旬の土曜日に標茶町内の小学生を招いて自然体験を行うというものです。小学生は3~4年生を中心に毎年20名前後が参加しています。

 きっかけは、2003年に同校が第4回全国高校生自然環境サミットの当番校になったことでした。サミットのプログラムに含まれていた自然体験のガイド役(インタープリター)を務めるため、生徒たちは、インタープリターの手法に詳しい(財)キープ協会から基礎を学びました。そして、これによって身の回りの自然に対する興味やプロジェクトに対するモチベーションも向上し、翌年から、同校の環境活動にインタープリターズキャンプが加わったのです。

 「インタープリターズキャンプがきっかけで環境活動に積極的になり、卒業後は大学の環境システム学科に進んだ生徒もいます。今の在校生のなかにも、地域環境をテーマに勉強しながら教育大をめざしている生徒がいるんですよ」
 そう話すのは、インタープリターズキャンプを担当する遠藤友祐先生。
 湿原再生プロジェクトメンバーのひとり、大硲(おおさこ)くんは、「標茶高校に来てよかったのは、トラクターの運転などいろいろな経験ができたこと。そして進路が決まったこと」だと言います。インタープリターズキャンプを通じて、子どもたちとふれあうなかで「環境教育ができる保育士」をめざすことに決めたのです。
 五感を使う自然体験は何にも代えがたいのと同時に、小学生向けのプログラムをつくる過程で企画力を養い、小学生とのやり取りを通じてコミュニケーション力が発揮されることも、生徒の将来設計に役立っているようです。

【写真6】インタープリターズ研修の様子

ここにしかない自然、ここにしかない環境

 すぐ目の前に日本最大の湿原が広がる標茶高校ですが、意外にも高校に入るまで湿地に行ったことがない生徒が多いのが現実です。自然があまりにも身近で「そこにあるのがあたりまえ」になっていて、わざわざ出かけて行くという習慣がないのです。
 「小さい頃からあたりまえのように身の回りにあった自然に対し、改めてそのすばらしさを言葉で伝えるのは難しいものです。そこで本校では、入学してからの体験活動を重視しています」生物科の先生として教壇にも立つ永盛俊行教頭先生は静かに言います。
 「実際に現場に出かけて体験し、実感するのが一番。湿原にゴミ拾いに行くと『けっこうゴミが落ちているな』と初めて知って、『どうにかしよう』と思う…これが大事なんです」
 さらに同校では、教頭と事務長のほか、理科教員3名、農業系の先生数名で構成される環境教育委員会によって、生徒たちの環境学習をサポートしています。

 こうした体験、実践活動を通じ、生徒たちは標茶高校でしか得ることのできない、貴重な財産を胸に卒業していきます。湿原再生プロジェクトの2008年度リーダー、今(こん)翔太くんは、「標茶高校に入る前には感じていなかったけれど、標茶の自然、湿原の大切さが今ならわかる」と言います。
 今くんは、2008年夏に東京で行われた全国高校生自然環境サミットに参加。明治神宮の森を見て「北海道より、自然を大切にしている」と感じ、自然の少ない都会ならではの凝縮された自然、限られた空間の野菜づくりや自然活用に関心を持ち、標茶を振り返るきっかけとなったと話します。
 同じく湿原再生プロジェクトに参加する長部くんは2007年の自然環境サミットに参加。

 「標茶高校に入ってよかったことは、動物とふれあえる機会があったこと」
 控えめに話す長部くんでしたが、生き物や湿地のことに一日中没頭できる環境があるというのも、標茶高校の特徴です。プロジェクトメンバーの生徒たちが自然の中で楽しそうにじゃれ合っている姿から、湿原再生プロジェクトと学校生活を心から楽しんでいるのが見て取れました。

 標茶高校では、これからも地元の人や研究者と積極的に交流し、生徒の中に「自然とくらしの共生」の心を育て、環境教育の発信基地になっていくのを目標としています。

【写真7】牛がのんびり草を食む学校湿地で、永盛教頭と湿原再生プロジェクトの大硲くん、長部くん、今くん

学校プロフィール

北海道標茶(しべちゃ)高等学校

 北海道東部に位置し、釧路湿原国立公園、阿寒国立公園、知床国立公園に囲まれた自然豊かな場所に位置する北海道標茶高等学校は、1946年に標茶農業学校として開校。もとは軍隊用の馬を育成・調教する軍馬補充部があった土地を利用したもので、敷地面積は255ヘクタール、東京ドーム55個分の広さを誇ります。広大な敷地には牧草地や農場のほか、自然再生林や小さな湿原もあり、タンチョウヅルやエゾシカ、キタキツネの姿を見かけることも珍しくありません。学校内の農場や自然林は町民にも開放されており、開かれた学校として地域に親しまれています。2000年4月、総合学科高校となり、文理、地域環境、酪農科学、食品科学、アグリビジネスの5系列が学べるようになっています。標茶町の豊かな自然と基幹産業である農業に関連した内容の体験学習を中心に、環境教育と併せて農業を学ぶことで、21世紀の農業のあり方を考えることができる人材育成を目指しています。生徒数は291人。

標茶高等学校正門

(2008年9月現在)