古くから竹の産地として知られ、いまも竹林が多く見られる大阪府北部で、校内に炭焼き窯をつくり、竹炭を通じて地域の環境保全に取り組んでいる大阪府立北千里高等学校(以下、北千里高校)。学校と地域とのつながりのなかで、竹炭活動の輪は大きく広がっています。
「竹は、日本人にとって身近な里山の植生のひとつであり、籠(かご)や竿(さお)など様々な形に加工されて、生活の中で利用されてきました。こうして竹を利用する暮らしは、竹林を適度に伐採しながら管理することで成り立っていましたが、日本人の生活が変化した今日、竹林の多くが放置され、他の植生を脅かすまで拡大するようになっています。
こうした状況は、北千里高校がある大阪府北部でも共通していました。この地域は古くから竹の産地として名高く、竹炭や竹細工製品を生業とする人も多かったと言います。しかし、現在は以前のように竹を活用する機会も減り、高校に隣接する市の公園などで、拡大する竹林の管理が地域課題となっています。
北千里高校に炭焼き窯が造られたのは、平成12年3月のこと。当時の教頭、岩間邦男先生が、平成11年に大阪府の“魅力ある学校づくり推進事業”に応募し、炭焼き窯の設置費用約45万円を獲得したのがきっかけでした。
「そもそもの活動のきっかけですが、“竹”への関心が高かったのでしょうか」
「いや、実は、私は水(水質)がやりたかったのですよ(苦笑)」
と苦笑交じりに話す塩川先生は、同じ事業に “水質調査”で応募したものの、選から漏れてしまったそうです。
「ということで、やるしかなかったのです」
これ以降、北千里高校の炭焼きの取り組みは、多くの人たちの縁を得て充実していくことになりますが、一歩目のスタートはここからでした。
北千里高校は、ほとんどの生徒が大学へいく進学校です。竹炭を焼くという提案に、なぜ、忙しい時間を割くことができたのでしょうか。
ひとつには、同校が、伝統的に“おだやか”で“自由”な校風をもち、学内の雰囲気が暖かいことが挙げられます。また、自然に囲まれた環境で、環境学習の素材に事欠かないことも大きな要因でした。
隣接する竹林は、地域の環境保全を考える良い現場であり、竹炭焼きは、伐採作業、竹の加工、炭による環境浄化など、幅広い環境学習テーマを与えてくれます。そこに、魅力ある学校づくり推進事業として“竹炭”が採択されたことが、まさに追い風になりました。
校長、教頭、事務長が先頭に立って動き出し、ついで、生物の先生など教員有志5名に、事務職員や技能員まで加わって横断的な体制ができました。
竹炭を焼くには、窯づくり、焼き方は当然のこと、材料や燃料の調達など、学外の応援がなければ成り立ちません。竹は敷地内に自生する孟宗竹を使用していますが、隣接する野外活動センターの孟宗竹も利用許可を得ました。
薪の調達には吹田市建設緑化部が後援し、市が管理する公園と野外活動センターの間伐材を使用できるようになりました。吹田市で広く環境活動を展開するNPO“すいた市民環境会議”は、あらゆる面で力になってくれました。
炭焼き窯は、愛媛の俊成満彦氏の指導を得て、京都の鉄工所に破格値で製造していただいたそうです。
府の教育委員会や教育センターでは、研修施設の指導者たちが広報や相談にのってくれました。吹田市長までもが数回来校し、活動を熱心に励ましてくれました。
そして何より、地域の老人会“藤寿会”と“千里竹の会”との関係が大きく、窯の土を練る土木作業を、知恵と経験を生かし先導的に担ってくれました。大阪市内の“こどもエコクラブ”にも呼びかけ、“せいわエコクラブ”の参加が実現しました。子どもたちは、鋸や火吹き竹を扱い、体験活動をしました。
しばらくすると、PTAの会員や役員も積極的にこの取り組みを支援するようになり、竹炭や竹酢液を詰めるラベルのデザイン制作や文化祭のPTAバザーでの領布などを担うようになってきました。
ここまで濃密な関係づくりは、並大抵の努力では成立しません。
「こんな人がいたらなあと思ったら、そのような人が現れた」
塩川先生はこともなげに笑いますが、同じ機会を得たとき、誰もがこのような成果を生むわけではありません。人への思いと嗅覚を絶えず働かせるのがポイントかも知れません。
「すいた市民環境会議」のメンバーとは、以前から環境活動に関して励ましあってきた仲だったそうですが、教職員よりも地域の人間関係に詳しく、行政担当者にも知人が多く、様々な公的支援を得るにあたって、多方面に紹介を得ることができました。吹田市建設緑化部との“縁”はここから生まれたものでしたし、上述した、間伐材の運搬に際して軽トラックを貸してくれたのも、すいた市民環境会議のメンバーでした。
関係づくりに大きく貢献したもののひとつに「北千里環境セミナー」があります。これは府教育委員会と高校による「大阪府高等学校自主開放講座」の一環として、平成12年から開催しているものです。環境教育研究者(大学教授)、市民活動家(NPO事務局長)、環境教育実践家(高校教員)などを講師に招き、同校の生徒や教職員、PTA、大学生、地域の市民が参加者になる講座です。
セミナー実施が決まった時点で、PTA役員に協力を依頼したところ、セミナーのスタッフ会議にまで役員を送り込んでくれたそうです。また、老人会の「藤寿会」の会員数名は、第1回セミナーからの参加者でした。その数名の呼びかけで、組織をあげて竹炭支援の態勢ができました。ついでにいえば、老人会の世話役が、北千里高校の10年前のPTA会長だったという“縁”までついてきました。
北千里高校の竹炭活動は、大きく3通りあります。ひとつは、有志の先生が担当する授業時間の一部を活用するもの。ついで、休日を使い自主的に教員・生徒の有志が活動するもの。そして、地域の老人会とこどもエコクラブが組織の活動として、高校の炭焼き窯を活用するもの。
竹炭焼きの作業は、(1)竹の準備、(2)薪の準備、(3)竹の充填、(4)炭焼き、(5)竹酢液の採取、(6)煙の変化による温度管理、(7)密閉と放置、(8)炭の取り出し、(9)炭と竹酢液の仕分けからなります。生徒に、これらの作業をすべて体験させることは困難です。
かつて塩川先生が授業の一環として実践した取り組みの概要を以下に紹介します。
北千里高校では、竹炭焼きを通じて地域の環境保全を生徒たちに考えてもらおうと、1)炭焼によるリサイクル、2)水質浄化や土質改良などの環境浄化、3)竹や雑木の切り出し利用による里山の営み再現、という3つの環境保全に関する目標を設定しました。
自分たちがつくった竹炭や竹酢液を地域に配布するにあたり、生徒たちは、竹炭の湿気や臭気の吸着、水の浄化、癒し効果、竹酢液の防虫効果、殺菌効果、防臭効果などを、実際に利用したうえで説明書を作成しました。
「竹酢液を植木鉢にいれ、花がきれいに長く咲いた。ゆっくりだけど、植物に生命力を与えるようです」「竹酢液をお風呂に入れると、田舎の家に行ったような落ち着いた気分になれました」
生徒が書いた感想からは、竹炭の効果について自らが体験したという実感がうかがえます。
授業に参加する生徒たちの多くは、はじめは当惑顔です。作業を強制させられる、汚れ仕事を押し付けられる、教師の趣味に付き合わされるなどのイメージもあるようです。
それが、活動に参加していくことで、やがて竹炭焼きのおもしろさに目覚め、主体性が生まれてきます。加えて、外部の人たちとの交流によって、竹炭焼き活動の広がりと深みを知り、わが母校の取り組みに誇りに感じることも少なくはないようです。
平成19年4月、塩川先生は9年間在籍した北千里高校から異動しました。同校の竹炭活動の今後の課題は、いかに活動を継続するかにあります。
幸い、竹炭活動を引き継ぐ後任の先生が現れましたが、厳しい時間のなか、どこまで支えることができるか流動的であり、熱意ある複数の先生が必要です。また、地域の側も人材は入れ替わっていきます。ボランティア活動は、少数の熱心な方々に支えられることが多いため、地域のより大きなネットワークにも働きかけを行い、より広い人脈から竹炭焼きを支えるよう模索を続けています。
一方、竹炭焼き活動に積極的に参加した生徒の中には、竹炭焼きやケナフの栽培、割り箸リサイクル活動に自主的に取り組むものが現れ、卒業生との交流も始まっています。これらの生徒の中には、この活動を通して大学進学の希望分野を地球環境問題にしぼったものもいます。
竹炭を素材とした環境学習の可能性は、このような動きのなかにこそあるのでしょう。
大阪府北部に位置する全日制普通科の高等学校であり、昭和53年に創立し今年で31年目を迎えます。ほとんどの生徒が大学に進学し、平成15年度から2学期制を導入。また同年度には、文部科学省の「学力向上フロンティアハイスクール事業」のモデル指定校となり、学習意欲・学力向上に総合的に取り組みました。
このモデル事業が平成17年度に事業終了した後も、大阪大学、立命館大学、関西大学との間で「高大連携」を実施。同校生徒が大学の授業を受講できるほか、インターンシップ制度等により、大学生による部活動支援・学習支援・「総合的な学習の時間」の支援・開放講座支援などを進めています。
部活動も活発で、ソフトテニス部、空手道部、ソフトボール部などが近畿大会やインターハイに出場し、吹奏楽部は府大会で金賞を獲得しています。また、大阪府の「地域との連携の研究指定校」でもあり、“開かれた高校”を標榜しています。
【参加主体と協力者】